【朝焼けの出逢い】​13

息子の夏巳が真夜中に邸宅からいなくなり。

驚いた夏夜子は慌てて父のいる宿坊へ走り、善宗に助けを求めた。

 

酔っ払って畳に寝転がっていた善宗を叩き起こし、一緒にいた若い僧侶たちも、八歳の子供が山中にある邸宅からいなくなったと話を聞かされ、陽焔寺では皆大騒ぎになっていた。

 

 

一方。大天狗の炎焔坊と小天狗の小風丸は、風を切るように真っ暗な夜の空を、非常に早い速度で飛んでいた。

 

「炎焔坊さま 炎焔坊さまー!」

 

白い翼を羽ばたかせながら小風丸は、自分の前を猛スピードで飛んで行く、炎焔坊の後ろ姿を必死に追いかけていた。

 

「ちょっと待って下さいよー」

 

小風丸に名を呼ばれた炎焔坊は、バザバサと紅の翼を羽ばたき、スピードを落としてゆっくりと後ろを振り返る。

 

「さっきからなんだ小風丸、私は急いでる。ついて来れないなら置いて行くぞ」

 

「そんなに急いで帰らなくてもー、夜が明けてから帰ればいいじゃないですか? こんな夜中に帰っても、どうせみんな寝てますよー?」

 

「……」

 

「ちょっと寄り道してから帰りましょうよー? どこかの店で、お土産でも買ってさー」

 

バサバサと紅の翼を羽ばたかせながら炎焔坊は、黙ったまま小風丸を疑うような目で見つめた。

 

鋭い目つきに小風丸は一瞬ビクッとしたけど、とぼけた顔をして誤魔化し笑いをした。

 

「あはは。あー ボクこの前 甘くて美味しいパンケーキを焼いてる可愛い店を見つけたんですよー」

 

「はぁ?」

 

「朝早くから開いてる店で、そこのシェフがとても面白い人でー」

 

「だからなんだ?」

 

「だ──だからっ! 夜が明けたら炎焔坊さまと一緒に食べに行きたいなぁーなんてー?」

 

「悪いが、私は甘い物はあまり好きではない。知っているだろ」

 

「それじゃあ、お土産だけでも買ってから帰りましょうよー? そしたら おじいちゃんやー寺に居る僧侶たちもー、お嬢さんだってきっとみんな大喜びしますよ?」

 

「…… 」まるで何かを隠そうとする小風丸の不自然な表情を見て、炎焔坊は顔をしかめた。

 

「 人間の女は特に甘い物が大好物だと、昔 姉さんからそんな話を聞いたことがあります!」

 

 

「小風丸……また私に何か隠し事をしているのか?」

 

 

「──えっ!? し、してませよっ」

 

「さっきから無駄話ばかりしている。お前は嘘をついたり隠し事があると、無駄によく喋る」

 

炎焔坊にそう言われると小風丸は──ハッ。とした顔をして自分の口を慌てて両手で塞いだ。

 

「言え。何を隠している」

 

迫り寄って来た炎焔坊の鬼のような形相を見た小風丸は、ヤバイ事をしたのかもしれないと気が付き、後に悔むことになってしまう。

 

炎焔坊は小風丸の不自然なふるまいを見た瞬間、薄々勘付いていた。

 

どうせまた赤界門を潜り、真夜中に緋天山の奥へ入って行く人間達を見て見ぬフリして止めなかったとか、そんなところだろうと、炎焔坊には小風丸が取った呆れた行動がすぐに目に思い浮かんだ。

 

何故なら人間があまり好きじゃない気まぐれ小天狗の小風丸は、人間の僧侶達と共に暮らす陽焔寺で、何かしらの粗相を起こすことが日常茶飯事だからだ。

 

「そ、それは── 」

 

 

 

 

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炎焔坊と小風丸──

大天狗と小天狗の妖怪が上空で一悶着している間。夏巳は、暗い山の中で枝葉を掻き分けながら一人で只管走っていた。

 

 

「ハァハァ、逃げなきゃっ……」

 

──ずっと前に、母さんから聞いたことがあったんだ山の妖怪のこと

 

オレは全然信じてなかった。3年生になってからだんだん母さんの話相手するのも面倒くさくなって、殆ど聞き流してた。

 

母さんがする話は、まるで幼稚園児が聞く御伽話みたいで、あまり好きじゃなかったんだ。

 

怖い夢を見せて面白がる意味不明な妖怪の存在も、寺にあった守火の灯りも、きっとなにか仕掛けがあるんじゃないかって思ってた。

 

 

けど──今オレの目の前にいる、あの毛玉みたいな謎の生き物はおそらく ──本物の妖怪だ。

 

 

 傀儡妖怪【山祟やまたたり】

 

緋天山の奥に棲む山妖怪。人間の死体を操り、人語を話して人間に近づいてくる。

 

毛玉のようにふわふわとした見た目をしているが、実はとても凶暴な人喰い妖怪。

 

何かを食べる時は以外はずっと眠っている、普段は大人しい妖怪。

 

 

 

 

 

──だから早く逃げなきゃ! じゃないとオレ、アイツに喰われるかもしれない!

 

 

ドカドカと山の木々を薙ぎ倒していく、白い毛玉妖怪【山祟り】に追いかけられながら、夏巳は必死に走った。

 

山祟りは、鎖が巻き付いた骸骨を振り回しながら、夏巳の後ろをしつこく追いかけて行く。

 

口からはヨダレを垂れ流し、人語の使い方も忘れた恐ろしい山の人喰い妖怪は、だた食欲をみたす為だけ襲いかかってくる狂気の塊と化した。

 

着ているパジャマの裾は泥だらけになり。地面に転がっている小石を裸足で蹴り上げ、息を切らしながら必死に逃げた。

 

小石を蹴った足の痛みなんかよりも、山祟りに食べれてしまうかもしれないという恐怖心が勝り。足の指先から血が出ていることすら、夏巳は気にも止めなかった。

 

後ろを振り向くと、どんどん近くまで迫りよって来る山祟り。

 

夏巳は生い茂った草木の中へ飛び込んで、茂みに自分の姿を隠そうとした。

 

──母さん! 爺ちゃんっ―!

 

力の限り高くジャンプすると、小枝がバキバキバキッとへし折れる音が聞こえた。夏巳はすごく嫌な予感がした。

 

 

「──うっそだろ……!」

 

夏巳は、草木の茂みにジャンプして飛び込んだはずだった──しかし数秒経っても地面に着地ができない!?

 

怖怖と目をそっと見開いていくと ──飛んでいる?

 

──いや そんなことは出来ない。オレは妖怪じゃない普通の人間だ。それじゃあコレは何だ?

 

コレは所謂 落下だ。

 

 

「──うわぁああッ!」夏巳は山崖から滑り落ちてしまった。

 

 

夏巳が飛び込んだ草木の茂みは、葉や枝で隠れて見えにくいが、その中を通り抜けていくと険しく切り立った山崖となっていた。

 

山祟りから必死になって逃げていた夏巳は、自分でも気付かないうちにずっと高い所まで、山を登っていたのだ。

 

緋天山には海へと繋がる大きな川があり、山崖から凄い勢いで夏巳は川に落ちていく。

 

あまりの恐怖で頭の中が一瞬真っ白になりそうだった。

 

──下にある、あの大きな川に落ちたら、もしかして助かる? それともオレはここで死ぬのかな?

 

そんなのは嫌だ。母さん 爺ちゃん 誰か──。誰か誰か「──誰か助けてぇえっ!」

 

 

──ガシッ!!

 

 

「フゥー。やれやれ、なんとか間一髪ギリギリ間に合ったな。あまりにも小さな体をしているから見つけるのに少し時間が かかった」

 

「──!?」

 

「すまない。私の愚かな弟子がとんだ失態をしたせいで、怖い思いをさせてしまった。けど、こんな夜中に子供だけで山奥に入って行くキミも、とんだ悪い子だ……何をするつもりだったんだ? 猪でも狩るのか? ──それなら 私も手伝うぞ?」

 

夏巳の叫び声は確かに届いた。だけど、その震える小さな腕を掴んで 救い上げてくれたのは母でもなく、祖父でもなかった。

 

葉っぱの蔓で結われた黄金色の長い髪を、夜の風になびかせ、背中の大きな紅の翼をバサバサと羽ばたかせた。

 

漆黒の闇のような真っ黒な瞳をした妖怪の男だった。夏巳はもう、何がなんだか分からなくなっていた。

 

けど、その妖怪の男に抱き抱えられた時。男の大きな腕と硬くて頑丈な胸からは、こんな薄暗い夜の空には似付かわしくないくらい

 

 

──ポカポカと暖かいお日様の匂いがした。

 

 

「私の名は炎焔坊。この緋天山の主。妖怪と共に生きる焔の町で暮らす人間たちは、 私のことを焔の炎焔坊と呼ぶ」

 

「……焔 炎焔坊?」

 

「ああ、そうだ、そして。──私はずっとキミに会いたかった。はじめまして 源夏巳くん」

 

そう言って炎焔坊は笑った。

 

夜明け前の冷たく薄暗い闇の空を、眩しいくらいの朝焼けの光が二人を明るく照らしはじめた。