【狭い小部屋とパジャマと肉】20
夏巳は炎焔坊を突き放すようにして離れた。
床に落として割れてしまったおぼんを、慌てて拾い。真っ赤な顔になって恥ずかしそうにする夏巳。
炎焔坊は起き上がり。落ち着きのない夏巳の姿を見ると、笑いを堪えながら静かにベッドから降りて部屋の奥にある、もうひとつの狭い小部屋の中へスタスタと歩いて行った。
夏巳は、割れたおぼんを両手で抱えておとなしく炎焔坊が戻って来るのを待った。
「……夏巳くん こっちに来て」数秒経つと奥の狭い小部屋の中から、炎焔坊が夏巳を呼んだ。
夏巳は俯いた顔を上げて炎焔坊の居る、狭い小部屋の中に恐る恐る入って行った。
5畳の狭い小部屋は、炎焔坊の衣服などを収納するウォークインクローゼットだ。
高価そうな、よそ行きの服と見た事ない変わったデザインの着物や羽織がズラリと並んでいた。
「夏巳くん 汚れていたパジャマとパンツ。小風丸が洗って乾かしてくれたよ」炎焔坊は綺麗に畳まれたパジャマとパンツを夏巳に渡すと。
夏巳は小さな声で「あっ、ありがとうっ 」と言いながら受け取った。
「礼なら小風丸に言ってやってくれ、きっと喜ぶよ」
炎焔坊がニッコリしながらそう言うと、今朝の恥ずかしい出来事を夏巳は思い出してしまう。
住み慣れない祖父の邸宅で、夏巳は真夜中に目が覚めてしまい、トイレがある場所を探そうとした……
けど、人間の女の子に化けた人喰い妖怪に騙されてしまい、夏巳は緋天山の奥まで連れていかれてしまう。
すぐに炎焔坊と小風丸の二人が助けてくれて、命拾いをしたけど……
夏巳は人喰い妖怪に襲われた恐怖で、ずっと我慢していたおしっこを二人の目の前で漏らしてまい、大泣きしてしまう!
──うわあぁ!!
夏巳はあまりの恥ずかしさで、今すぐにこの場所から消えて無くなりたい気持ちで、いっぱいいっぱいになった。
炎焔坊は、夏巳がパジャマとパンツを取り返しに来ただけだと思い、夏巳がおしっこを漏らした事なんて特に気にしていないようだ。
二人が薄暗い寝室に戻ると、窓の真っ黒なカーテンを風が揺らし、午後の暖かい日の光が隙間から漏れた。
炎焔坊が窓のカーテンを全開にすると、部屋は明るくなり。
炎焔坊は真っ赤なベットの隣にある、小さなテーブルの上に置かれた酒瓶とおつまみ皿に気がついた。
「夏巳くん 私に酒を持って来てくれたのか?」テーブルから冷たい酒瓶を持ち上げて、炎焔坊は嬉しそうに言った。
「あっ。いや、それは母さんが……その、アンタに持っていけって言ったから」夏巳は恥ずかしくて炎焔坊から少し目を逸らした。
「そうか 夏夜子さんか……私も後で何か礼をしないとな」炎焔坊は夏夜子の名を口にするとニッコリした顔をして、真っ赤なベッドの上に座った。
明るくなった寝室で真っ赤なベッドを見ると、夏巳は、どんな趣味してるんだよ? とちょっとだけそう思った。
「夏巳くん ここに座っていいぞ」
炎焔坊は、立ったままの夏巳に自分の隣へ座ってもらおうと、片手でベッドの上にある赤いクッションをパフパフと軽く叩いた。
夏巳は少し考えるような顔をしたけど、炎焔坊の隣にストンと座った。
面と向かい合って話をするのは、緊張するし恥ずかしいから。
夏巳は部屋の壁を見つめながら炎焔坊と話をする事にした。
妖怪男の隣に座るのは少し不安だけど、母 夏夜子と祖父 善宗の知り合いだと分かると、不思議と気が緩くなるのは、夏巳が子供だからなのかも知れない。
「フッ。やっぱり可愛いな夏巳くんは……夏夜子さんによく似ている」炎焔坊は独り言のようにそう言うと酒瓶に口をつけてグイッと一口飲んだ。
──えぇ!? なんなんだよ……急にっ。
夏巳は炎焔坊からササッと少しだけ離れた。酒を飲んで酔っ払った大人は恐怖でしかない! 祖父 善宗の酔っ払った姿がチラついて地味にイヤだった。
「夏巳くん 善宗さんからキミの話は聞いたよ」
炎焔坊は箸でおつまみを摘みながら夏巳に話をしだした。
「えっ、じいちゃんから……オレの話を?」急に真面目な声で話し出す炎焔坊に、夏巳は少し戸惑う。
「ああ」
炎焔坊は、おつまみをひと口食べてから善宗に聞かされた事を夏巳に話した。
──数日前。
「おーい おーい 小風丸ー。炎焔坊 いるかー?ちょいと呼んできてくれねぇーかぁ?」
月と星が輝く静かな夜に、善宗は一人。真っ赤な五重の塔の前に立ち、塔の窓から一人で星空を眺めている小風丸を呼んだ。
「あ、和尚さん ちょっと待ってて下さいねー。炎焔坊さまー 炎焔坊さまー」
小風丸はそう言って窓から顔を引っ込め、ベットからひょこっと飛び上がり。善宗が来ている事を炎焔坊に知らせに行った。
炎焔坊の真っ赤なベットは、小風丸が星空の絵を描いていたスケッチブックとクレヨンやおもちゃで散らかっていた。
「なんだ? 小風丸」炎焔坊は風呂上がりで濡れた長い黄金色の髪を、片手に持った白いタオルでわしゃわしゃ乾かしながら寝室に入って来た。
「おじいちゃんが外で炎焔坊さまの事を呼んでますよー」
──ガタン。ガラガラ……(塔の窓を開ける音)
「善宗さん どうしましたか? 今 そちらに行きます 」半開きになっていた塔の窓を全開にして、炎焔坊が窓から身を乗り出して飛び降りようとした。
「ああ、いいよ。ちぃとそのままで聞いてくれ……」善宗は赤ら顔で少し酒を飲んで酔っ払っていた。
「え? ああ、はい…… 」
「小学三年生になったワシの孫が最近……学校で問題行動ばかり起こしてワシの娘をすごーく困らせておる……」
「孫ってあの……夏夜子さんが産んだ子供の夏巳くんですか?」炎焔坊は少し驚いた顔をしたが、冷静になって善宗の話を聞いた。
「ああ、夏夜子 一人ではもう手に負えねぇみてぇだ。近々 孫の夏巳を連れて寺に戻って来る事になった」
「夏夜子さんが……戻って来るんですか」
「ああ、そうだ。だから……しばらくの間 夏巳をお前に守ってもらいたい」
「わ、私にですか!?」
「ちぃと気難しい子でな……学校でいろいろあって詳しくはわからねぇ。けど、お前にならきっと心を許してくれるだろう。何となくそう思った、なんとなくなぁ」
「善宗さん……」炎焔坊は塔の窓から飛び、カタンッ!と高下駄の音を鳴らして地面に降り立つと自信満々な声で善宗に言った。
「わかりました。夏巳くんの事は全て私に任せて下さい」
※「おお、おお。そう来なくっちゃなぁ〜夏夜子にも良いところをみせるチャンスだ。 細かい事は全部 お前に任せたぞぉ」善宗はそう言って笑いながら炎焔坊の背中をバシバシ叩いた。
「は、はい……(汗)」
炎焔坊は、善宗が最後に自分に言ったセリフ※ だけは話さずに伏せた。なんとなく夏巳が聞いたらあまり良い気分がしないと思ったからだ。
「──と、善宗さんに夏巳くんを守ってくれと頼まれたんだ。都会ではいろいろあって大変だったみたいだけど……」
「……うん」
「ここでは私や小風丸に頼ってくれて良いから、困った事があったらなんでも言ってくれ」
「……うん、わかった」
夏巳が小さく頷くと、炎焔坊は手に持っていたおつまみ皿を夏巳の前に差し出した。
「夏巳くんも食べるか?」
皿の中のモノをよく見ると、炎焔坊が食べているおつまみは何の動物かはわからないが、真っ赤な色した生の肉だった。
夏巳は寝起きで、よくこんなのが食べられるなと驚きながらも、差し出されたおつまみをやんわりと断った。